佐野海舟の学歴|高校は米子北!中学・小学校・大学進学とサッカー歴を確認

※見出し画像は記事内容をわかりやすく伝えるためのイメージ画像です。実在する本人・関係者の写真ではありません。

こんにちは。人物について検索したときに出てくる「これ本当?」を、できるだけ本人・所属クラブ・学校・競技団体・元のインタビューまで戻って確認しているeLifemix管理人のBananaです。

佐野海舟選手について調べると、「高校は米子北?」「中学や小学校はどこ?」「大学には進学した?」「高校時代からすごかったの?」と、プロになる前の経歴もかなり気になります。

私も最初は、米子北高校出身というところまでは簡単に確認できても、小学校や中学校は二次サイトの情報が中心なのかなと思っていました。

ところが元まで戻ってみると、FC町田ゼルビアの加入時プロフィールに、出身校として「津山市立鶴山小→津山市立中道中→米子北高」とはっきり掲載されています。

さらにJFAや米子北高校、父・龍一さんへのインタビューまで確認すると、高校1年生から主力として試合に出て、高校2年では背番号10、全国高校サッカー選手権で学校初のベスト8と大会優秀選手、高校3年では主将を務めていたことまで分かりました。

そして大学についても、「大学名が見つからない」のではありません。

一度は大学進学を考えた時期がありながら、最終的には米子北高校から直接FC町田ゼルビアへ入り、高卒でプロになった選手です。

この記事では学校名だけを並べるのではなく、佐野海舟選手がどこでサッカーを始め、なぜ米子北へ進み、どのように高卒プロ入りをつかんだのかまで順番に確認します。

先に結論|佐野海舟の学歴

  • 小学校:津山市立鶴山小学校
  • 小学生時代:FCヴィパルテU-12
  • 中学校:津山市立中道中学校
  • 中学生時代:FCヴィパルテU-15
  • 高校:米子北高等学校
  • 高校1年:年間を通して試合に出場し主軸へ
  • 高校2年:背番号10、全国高校選手権で学校初のベスト8
  • 2017年度全国高校選手権:大会優秀選手34人の一人に選出
  • 高校3年:背番号7・主将としてプレーした公式記録あり
  • 大学:進学せず、高校卒業後にFC町田ゼルビアへ加入
  • プロ入り:2019年、米子北高校からFC町田ゼルビアへ加入

特に間違えやすいのが、学校とサッカーチームを同じものとして扱ってしまうことです。

小学校・中学校の学校名は確認できますが、当時サッカーをしていたのは学校の部活動ではなくFCヴィパルテでした。

佐野海舟の学歴一覧|小学校・中学校・高校・大学

まず、公式情報から確認できる学校とサッカー歴を一覧にします。

時期 学校・進路 サッカー 確認状況
小学校 津山市立鶴山小学校 FCヴィパルテU-12 クラブ公式で確認
中学校 津山市立中道中学校 FCヴィパルテU-15 クラブ公式で確認
高校 米子北高等学校 米子北高校サッカー部 クラブ・学校・JFA公式で確認
大学 進学せず 2019年にFC町田ゼルビア加入 クラブ・Jリーグ公式で確認

「佐野海舟の大学はどこ?」という検索もありますが、佐野選手は大学を経由していません。

米子北高校から直接FC町田ゼルビアへ加入した高卒プロです。

佐野海舟の小学校は津山市立鶴山小学校

佐野海舟選手の出身小学校は、岡山県津山市の津山市立鶴山小学校です。

ここはネット上の推測ではありません。

FC町田ゼルビアが2019年の加入発表で掲載したプロフィールに、「津山市立鶴山小→津山市立中道中→米子北高」と明記されています。

小学生時代はFCヴィパルテU-12

学校名と一緒に分けて確認したいのが、当時所属していたサッカーチームです。

佐野選手は小学生時代、FCヴィパルテU-12でプレーしていました。

父・龍一さんへのインタビューでも、海舟選手と弟の航大選手は小学校に入ると、父がコーチを務めていたFCヴィパルテへ入り、本格的にサッカーへ取り組んだことが語られています。

小学校と所属チームは分けて確認

  • 学校:津山市立鶴山小学校
  • サッカー:FCヴィパルテU-12

そのため、この記事では「鶴山小学校サッカー部でプレーしていた」とは書きません。

子どものころからセカンドボールを拾うのが得意だった

ここは現在の佐野海舟選手につながる、私が特に面白いと感じたエピソードです。

父・龍一さんによると、少年サッカーでは子どもたちがボールの周りへ集まる場面でも、海舟選手はその輪へ飛び込まず、少し後ろで待ってこぼれ球やセカンドボールを拾うタイプだったそうです。

現在の佐野選手といえば、相手からボールを奪う力やセカンドボールの回収が大きな武器です。

私も元のインタビューを確認するまでは、プロになってから磨いた特徴なのかなと思っていました。

ところが実際には、少年時代から「次にボールが来る場所」を考えて回収するプレーを好んでいたことが分かります。

現在のポジションやプレースタイル、マインツ・日本代表での経歴については、佐野海舟のプロフィール・プレースタイルを確認した記事で詳しく整理しています。

佐野海舟の中学校は津山市立中道中学校

佐野海舟選手の出身中学校は、津山市立中道中学校です。

こちらもFC町田ゼルビアの公式プロフィールで確認できます。

中学生になってからも、学校の部活動ではなくFCヴィパルテU-15でサッカーを続けています。

中学時代に確認できること

学校
津山市立中道中学校
所属チーム
FCヴィパルテU-15
出身地
岡山県津山市
高校進学
鳥取県の米子北高校

なぜ米子北高校へ?第一志望は別の関西の強豪校だった

今回、学歴を調べていて特に興味深かったのが、佐野海舟選手が最初から米子北高校一本だったわけではないことでした。

検索結果だけを見ると、「強豪・米子北からプロ入りした選手」という説明が中心です。

ところが父・龍一さんへのインタビューまで戻ると、その前の進路選択がかなり具体的に語られています。

第一志望の関西の強豪校では特待にならなかった

父・龍一さんによると、海舟選手には当初、関西の強豪校という第一志望がありました。

しかし、その学校では特待での入学が認められなかったといいます。

ここで気になったのが、「その学校はどこだったのか」です。

ネット上では具体的な候補校が書かれる可能性がありますが、今回確認した父親への取材では「関西の強豪校」というところまででした。

第一志望校の具体名は未確認

「第一志望は関西の強豪校だった」「特待での入学が認められなかった」ことまでは父・龍一さんへの取材で確認できます。

ただし、具体的な学校名まで元情報では確認できないため、eLifemixでは候補校を推測して埋めません。

中学3年11月に米子北の練習へ参加

その後、中学3年生の11月になって、以前から声をかけてくれていた米子北高校の練習へ参加します。

そこで、選手たちがひたむきにサッカーへ取り組む姿を実際に見たことが、進路を決める大きなきっかけになりました。

練習参加後、海舟選手は父親へ米子北に行きたいという思いを伝えたそうです。

私も最初は、「強豪校だから米子北を選んだ」というシンプルな流れだと思っていました。

元の取材を読むと、自分で練習へ参加し、チームの雰囲気を見たうえで進学先を決めていたことが分かります。

米子北高校では1年生から主力として出場

米子北高校へ進学した佐野選手は、早い段階から全国レベルのチームで試合経験を積みます。

JFAが2017年に掲載した米子北高校の記事では、当時高校2年生だった佐野選手について、前年は1年生ながら年間を通して試合に出場し、チームの主軸を担ったと紹介されています。

つまり、高校3年生になって突然注目された選手ではありません。

米子北へ入学した1年目から主力級としてプレーしていたことが確認できます。

高校2年では背番号10

高校2年になると、佐野選手は米子北で背番号10を背負っています。

JFAは当時の佐野選手について、豊富な運動量とボール奪取能力を持つボランチとして紹介しています。

中村真吾監督からは、プレーだけでなく、周囲へ戦術面を伝えながらチームを引っ張る役割も期待されていました。

現在につながる米子北時代

少年時代から見られた「ボールを回収する」という特徴は、高校年代でもすでに大きな武器として評価されていました。

そしてプロ入り時、FC町田ゼルビアへの本人コメントでも、自分の特徴として「相手ボールの回収能力」を挙げています。

全国高校サッカー選手権で米子北初のベスト8

高校時代の実績で特に大きいのが、2017年度の第96回全国高校サッカー選手権大会です。

米子北高校は、山梨学院、仙台育英、一条を破って準々決勝まで進出。

準々決勝では前橋育英に敗れましたが、米子北高校として初の全国ベスト8となりました。

そして当時高校2年生だった佐野海舟選手は、大会終了後に優秀選手34人の一人へ選出されています。

NIKE NEXT HEROのイタリア遠征にも選出

選手権後には、米子北の三原貫汰選手とともに、佐野選手もNIKE NEXT HEROのイタリア遠征メンバーへ選出されています。

高校2年生の段階で、全国大会だけでなく海外でプレーする機会も得ていたことになります。

高校3年では背番号7・主将としてチームをけん引

高校3年生になった佐野選手について、JFAの高円宮杯U-18プレミアリーグ公式記録を確認すると、背番号7でキャプテンとして出場していることが分かります。

高校2年では背番号10。

高校3年では背番号7へ変わっていますが、より重要なのは主将として米子北を引っ張る立場になったことです。

米子北高校での成長

高校1年
年間を通して試合に出場し主力へ
高校2年
背番号10・全国選手権ベスト8・大会優秀選手
高校3年
背番号7・主将としてプレー

現在の佐野選手は、守備的MFとして試合の状況を読みながら周囲をカバーするタイプです。

高校時代からプレーだけではなく、チームを見ながら動くことを求められていたことが分かります。

高校3年のインターハイでも得点

JFAの2018年度全国高校総体公式記録では、米子北が宇和島東に4-0で勝利した1回戦で、佐野海舟選手自身も得点しています。

守備的MFというイメージが強い選手ですが、高校年代では守備だけに限定されず、攻守の中心としてプレーしていました。

佐野海舟は大学へ進学した?一度は大学も考えていた

「佐野海舟 大学」と検索している方も多いと思います。

最終的な結論は、大学へ進学せず、米子北高校卒業後にFC町田ゼルビアへ加入です。

ただ、元のインタビューまで戻ると、「最初から大学へ行く考えがまったくなかった」という単純な話でもありませんでした。

高校3年には「大学へ行きたい」と父へ相談した時期も

父・龍一さんへのSportivaの取材によると、佐野選手は高校3年の5月ごろにJ2クラブの練習へ参加しています。

しかし、すぐに良い返事をもらえず、夏ごろには父へ大学へ行きたいという気持ちを相談した時期もあったそうです。

ここは今回、私が追加で確認してかなり印象が変わった部分でした。

現在だけを見ると、高校卒業から町田、鹿島、マインツ、日本代表と順調に進んだようにも見えます。

実際には高校3年の段階で、プロになれるのか、大学へ進むのか迷う時期もあったということです。

父から覚悟を問われ、最終的に町田の内定をつかむ

父・龍一さんは、米子北進学時から、弟の航大選手もいることなどを踏まえて大学進学は金銭的に難しいと伝え、高校3年間でプロへのチャンスをつかむよう背中を押していたと語っています。

高校3年で大学へ進みたいと相談したときにも改めて覚悟を確認し、佐野選手はプロを目指す道へ向き直ったとされています。

そして最終的にFC町田ゼルビアへの加入内定をつかみました。

大学についての結論

最終的には大学を経由していません。

ただし、高校3年時には一度大学進学も考えています。

その後プロを目指す覚悟を固め、米子北高校から2019年にFC町田ゼルビアへ加入しました。

なお、父親の発言に金銭面の話が含まれているからといって、そこから「佐野家は貧乏だった」などと実家の経済状況まで決めつけることはしません。

父・母・弟の佐野航大選手、実家については、佐野海舟の家族・実家を確認した記事に分けています。

「米子北の特待生だった」は本当?

佐野海舟選手について検索すると、「特待」「推薦」といった情報も出てきます。

今回確認できた父・龍一さんへのインタビューでは、第一志望だった関西の強豪校で特待入学が認められなかったことは具体的に語られています。

一方で、佐野選手が米子北高校へどの入試区分・奨学制度で入学したのかまで明記した本人・学校公式情報には、今回たどり着けませんでした。

「米子北の特待生」とは断定しない

米子北から早い段階で声がかかっていたこと、中学3年で練習へ参加して進学を決めたことは確認できます。

ただし、それだけで「米子北のサッカー特待生だった」と同じ意味にはしません。

弟・佐野航大も同じ学校ルート?

佐野海舟選手の弟・佐野航大選手も、鶴山小学校→中道中学校→FCヴィパルテ→米子北高校という、兄とかなり近い育成ルートを歩んでいます。

そのため検索結果では、兄弟の学校歴がまとめて紹介されることがあります。

ただ、このページの検索意図は佐野海舟選手の学歴です。

弟・航大選手の人物像や父母、兄弟関係まで広げると家族記事と重なるため、詳しくは佐野海舟の父親・母親・弟を確認した家族記事へ分けています。

Bananaが調べていて迷った点

今回、私が特に迷ったのは4つありました。

1.小学校・中学校名をそのまま信じていい?

検索すると、鶴山小学校、中道中学校という名前は多くのページに出ています。

ただ、同じ学校名が何サイトに書かれているかではなく、元まで戻りました。

するとFC町田ゼルビアの加入時プロフィールに、両方の学校名が明記されています。

そのため、この2校は推測ではなく確認情報として扱っています。

2.大学へ「進学していない」と言い切っていい?

人物の学歴を調べるときは、「大学名が見つからない」と「大学へ進学していない」を分ける必要があります。

佐野選手の場合、米子北高校から2019年にFC町田ゼルビアへ加入した経歴がクラブ・Jリーグ公式に残っています。

さらに父親取材では高校3年時に大学進学を考えた時期まで確認できます。

そのため、最終的には大学を経由せず高卒でプロ入りしたと整理できます。

3.高校2年の背番号10だけを書けばいい?

以前は高校2年時のJFA記事から「背番号10」を中心に見ていました。

ただ、高校3年の公式試合記録まで確認すると、背番号7・キャプテンとして出場しています。

そのため、この記事では「高校時代の背番号は10」と固定せず、学年ごとに分けました。

4.実家の経済事情をどこまで学歴記事に入れる?

父・龍一さんが大学進学について金銭面にも触れたインタビューは、佐野選手が高校3年間でプロを目指した背景を理解するうえで重要です。

一方、その発言から実家の資産状況まで推測すると家族記事の検索意図に入ってしまいます。

そこで本記事では、進路選択に直接関係する父親の発言までにとどめています。

今回改めて感じたこと

佐野海舟選手の学歴は、「米子北高校出身」とだけ知るとかなり途中が抜けます。

小学生のころからセカンドボールを拾うプレーを好み、中学3年で高校選びに迷い、自分で米子北の練習へ参加して進学を決断。

高校1年から主力、高校2年で10番と全国ベスト8、高校3年では主将。そしてプロ入りがすぐ決まらない時期には大学も考え、それでも最後は高卒プロをつかんでいます。

今の佐野海舟選手まで、かなり一本につながって見える学歴でした。

管理人Bananaの確認手順

この記事では次の順番で確認しました

  1. FC町田ゼルビアの加入発表を確認
    鶴山小学校、中道中学校、米子北高校、FCヴィパルテU-12・U-15という経歴を確認しました。
  2. Jリーグ公式の加入記録を確認
    2019年に米子北高校からFC町田ゼルビアへ直接加入したことを確認しました。
  3. 米子北高校公式を確認
    同校サッカー部OBであること、全国高校選手権で学校初のベスト8、大会優秀選手選出などを確認しました。
  4. JFAの高校2年時の記事を確認
    高校1年から年間を通して試合へ出場していたこと、高校2年で背番号10だったことを確認しました。
  5. 高校3年のJFA公式試合記録を確認
    背番号7・キャプテンとしてプレーしていたことを確認しました。
  6. インターハイ公式記録を確認
    高校3年時の宇和島東戦で得点したことを確認しました。
  7. 父・龍一さんへのSportiva取材を確認
    幼少期のプレースタイル、第一志望校、米子北の練習参加、高校3年で一度大学進学も考えたこと、プロ入りまでの経緯を確認しました。
  8. 「大学」をクラブ経歴と照合
    大学名が見つからないだけなのかを確認し、米子北高校から直接町田へ加入したことと照合しました。
  9. 「特待生」説を確認
    第一志望校で特待にならなかったことは父親取材で確認できましたが、米子北での入試区分や特待制度までは確認できなかったため断定していません。
  10. まとめサイト・SNSも確認
    学校名、大学、推薦、特待、第一志望校など検索上で出ている説を把握し、元情報へ戻れないものは確認情報から外しました。
  11. 佐野海舟クラスターとの重複を確認
    現在のプロフィール・プレースタイルはプロフィール記事、父母・弟・実家は家族記事、現在の所属や移籍報道は移籍記事へ分けました。

この記事の情報確認レベル

情報 結論 確認レベル
津山市立鶴山小学校 確認できる A:クラブ公式
FCヴィパルテU-12 確認できる A:クラブ公式
津山市立中道中学校 確認できる A:クラブ公式
FCヴィパルテU-15 確認できる A:クラブ公式
米子北高校 確認できる A:クラブ・学校公式
高校1年から主力 確認できる A:JFA公式
高校2年で背番号10 確認できる A:JFA公式
全国高校選手権ベスト8 確認できる A:学校公式
2017年度選手権優秀選手 確認できる A:学校公式
NIKE NEXT HEROイタリア遠征 確認できる A:学校公式
高校3年で背番号7・主将 確認できる A:JFA公式記録
高校3年インターハイで得点 確認できる A:JFA公式記録
大学進学 最終的には進学せず高卒でプロ入り A:クラブ・Jリーグ公式
高校3年に大学進学も考えた 確認できる B:父親への直接取材
第一志望は関西の強豪校 確認できる B:父親への直接取材
第一志望校の具体名 確認できず 未確認
米子北の特待生 確認できず 未確認

今回確認した主な情報源

FC町田ゼルビア公式|佐野海舟選手 加入のお知らせ

鶴山小学校、中道中学校、米子北高校、FCヴィパルテU-12・U-15、米子北からのプロ入りを確認。

Jリーグ公式|米子北高よりMF佐野が加入

米子北高校から2019年にFC町田ゼルビアへ加入したことを確認。

米子北高等学校サッカー部公式

佐野海舟選手が米子北高校サッカー部OBであることを確認。

米子北高校|第96回全国高校サッカー選手権大会

学校初の全国ベスト8と、佐野海舟選手の大会優秀選手選出を確認。

米子北高校|NIKE NEXT HEROイタリア遠征

高校2年時にNIKE NEXT HEROの海外遠征メンバーへ選ばれたことを確認。

JFA|米子北高校 プレミアリーグWEST

高校1年から主軸を担い、高校2年で背番号10だったことを確認。

JFA|高円宮杯U-18プレミアリーグ2018公式記録

高校3年時に背番号7・キャプテンとして出場していたことを確認。

JFA|2018年度全国高校総体 米子北対宇和島東

高校3年時のインターハイで佐野海舟選手が得点したことを確認。

Sportiva|父・龍一さんが語る佐野海舟・航大兄弟

幼少期、FCヴィパルテ、米子北への進路選択、高校3年で大学進学も考えた時期、プロ入りまでの経緯を父親への取材から確認。

まとめサイトやSNSについても、「第一志望校」「特待生」「大学」など、どのような説が検索されているのかを把握するために確認しました。

ただし、学校名や進路の確定には、クラブ・学校・JFA・Jリーグ・本人家族への直接取材など、元に近い情報を優先しています。

佐野海舟の学歴についてよくある質問

Q. 佐野海舟の高校はどこですか?

米子北高等学校です。FC町田ゼルビア、Jリーグ、米子北高校など複数の公式資料で確認できます。

Q. 米子北高校では何年生から試合に出ていましたか?

JFAによると、高校1年生から年間を通して試合へ出場し、チームの主軸を担っていました。

Q. 高校時代の背番号は何番ですか?

高校2年時には10番、高校3年時のJFA公式記録では7番です。高校3年時にはキャプテンも務めています。

Q. 高校時代は全国大会でどこまで進みましたか?

高校2年時の第96回全国高校サッカー選手権で、米子北高校は学校初のベスト8へ進出しました。佐野選手自身も大会優秀選手34人に選ばれています。

Q. 佐野海舟の中学校はどこですか?

津山市立中道中学校です。中学生時代のサッカーはFCヴィパルテU-15でプレーしていました。

Q. 小学校はどこですか?

津山市立鶴山小学校です。小学生時代はFCヴィパルテU-12に所属していました。

Q. 大学には進学しましたか?

最終的には大学へ進学していません。高校3年時には大学進学を考えた時期もありましたが、米子北高校卒業後の2019年にFC町田ゼルビアへ加入しました。

Q. 米子北高校の特待生だった?

今回確認した本人家族への取材、学校・クラブ公式情報では、米子北での具体的な入試区分や特待制度までは確認できませんでした。そのため「米子北の特待生だった」とは断定していません。

Q. 第一志望だった高校はどこですか?

父・龍一さんへの取材では「関西の強豪校」とされていますが、具体的な学校名は確認できません。そのため候補校の推測はしていません。

Q. 弟の佐野航大も米子北高校ですか?

はい。弟の佐野航大選手も米子北高校へ進学しています。兄弟や家族については佐野海舟の家族記事で詳しく整理しています。

佐野海舟クラスター|4記事すべて公開済み

佐野海舟選手については、検索意図が混ざらないようにプロフィール・移籍・家族・学歴の4ページへ分けています。

4記事の役割を分けています

  • プロフィール:何者・年齢・身長・ポジション・経歴・日本代表・プレースタイル
  • 移籍:現在の所属・移籍先候補・移籍報道・移籍金・契約
  • 家族:父親・母親・弟・実家・家族エピソード
  • 学歴:小学校・中学校・高校・大学・学生時代・高卒プロ入り

今後新しい情報が出た場合も、基本的には担当する既存記事へ追記し、同じ検索意図の記事を増やしすぎない方針です。

まとめ|佐野海舟は鶴山小・中道中から米子北へ進み高卒でプロ入り

この記事のまとめ

  • 小学校は津山市立鶴山小学校
  • 小学生時代はFCヴィパルテU-12
  • 中学校は津山市立中道中学校
  • 中学生時代はFCヴィパルテU-15
  • 高校は鳥取県の米子北高校
  • 第一志望は別の関西の強豪校だった
  • 中学3年11月に米子北の練習へ参加して進学を決断
  • 高校1年から年間を通して試合に出場
  • 高校2年で背番号10
  • 2017年度全国高校選手権で米子北初のベスト8
  • 佐野選手自身も大会優秀選手に選出
  • NIKE NEXT HEROのイタリア遠征メンバーにも選出
  • 高校3年は背番号7・主将としてプレー
  • 高校3年時には大学進学も一度考えていた
  • 最終的には大学へ進まず、2019年にFC町田ゼルビアへ加入

今回、元の資料まで戻ってみて一番印象が変わったのは、佐野海舟選手が単に「名門・米子北高校からプロになった選手」ではなかったことです。

小学生のころからセカンドボールを拾うことを楽しみ、中学ではFCヴィパルテでプレー。

高校選びでは第一志望が別にありながら、自分で米子北の練習へ参加して進学を決めました。

米子北では高校1年から試合へ出て、高校2年で10番・全国ベスト8・大会優秀選手、高校3年では主将。

そして高校3年には、プロ入りがすぐ決まらず大学を考えた時期もありながら、最終的にはFC町田ゼルビアへの加入をつかんでいます。

現在の「ボールを回収する佐野海舟」は、プロになって突然できあがったものではなく、少年時代から高校時代、そして高卒プロ入りまで一本につながっていることが分かりました。

eLifemixでは、検索結果に同じ学校名が何度出てくるかではなく、本人・家族・クラブ・学校・競技団体など、元の情報まで戻れるかを基準に確認しています。

今後も学校・学生時代について新しい一次情報が確認できた場合は、この学歴記事へ追記していきます。