こんにちは。人物について検索すると出てくる「これ本当?」を、本人・学校・競技団体・所属先・元のインタビューまでできるだけ戻って確認している、eLifemix管理人のBananaです。
中島佑気ジョセフさんについて、「高校はどこ?」「大学は東洋大?」「何学部?」「小学校や中学校は?」「いつ陸上を始めたの?」「なぜ400mを選んだの?」と気になった方もいると思います。
私も最初は、学歴なら学校名を並べれば終わると思っていました。
ところが調べ直すと、以前は確認できなかった小学校について、立川市の公式情報から立川市立第一小学校と確認できるようになっていました。
さらに面白かったのが、400mを始めた経緯です。
今では44秒44の日本記録を持つ400m選手ですが、最初から400m一筋だったわけではありません。
本人の複数のインタビューを見比べると、小学6年で陸上に出会い、中学では100mや走幅跳などを経験。400mは一度「きつい」と感じながらも、中学3年ごろから本格的に取り組み、その記録が希望する高校への推薦にもつながっていったという流れが見えてきました。
そこでこのページでは、単に学校名を並べるのではなく、立川市立第一小学校→立川第一中学校→城西大学附属城西高校→東洋大学という学歴と、「なぜその学校へ進み、どこで競技人生が変わったのか」まで整理します。
プロフィール、家族、日本記録44秒44、コーチ、次の試合はそれぞれ完成済みの専用記事へ分けているため、このページでは学校・学生時代・陸上を始めた経緯に集中します。
※見出し画像は記事内容をわかりやすく伝えるためのイメージ画像です。実在する中島佑気ジョセフさん本人・学校関係者の写真ではありません。
先に結論|第一小→立川第一中→城西大附城西→東洋大学
- 小学校:立川市立第一小学校
- 小学6年:友人に誘われ陸上教室へ
- 小学6年の卒業式では「陸上で東京五輪に出る」と将来の夢を発表したと立川市公式が紹介
- 小学6年後半から中学入学前ごろ:KMC陸上クラブに在籍
- 中学校:立川第一中学校
- 中学では100m・走幅跳などを経験
- 400mは中学時代に一度経験し、中学3年ごろから本格的に取り組む
- 高校:城西大学附属城西高校
- 400mの記録が希望する高校への推薦につながることも、本格転向の大きな理由になった
- 高校入学時には400mをやめるつもりだったと本人が発言
- 高校3年:インターハイ出場、準決勝まで進出
- 高校時代の400mベスト:48秒05
- 大学:東洋大学
- 学部:総合情報学部総合情報学科
- 2024年3月:東洋大学卒業
- 大学1年47秒54→大学4年45秒04まで成長
- 大学3年:世界選手権4×400mリレー4位
- 大学4年:日本選手権400m初優勝、世界陸上400m準決勝進出
- 2024年4月:富士通へ加入
中島佑気ジョセフクラスターは6ページすべて完成済みです
このページは「小学校・中学・高校・大学・陸上を始めた理由・400mを選んだ経緯」を担当します。他の検索意図は専用ページへ分けています。
中島佑気ジョセフの学歴|小学校・中学・高校・大学を一覧で確認
| 時期 | 学校・所属 | 確認できるポイント |
|---|---|---|
| 小学校 | 立川市立第一小学校 | 小6で陸上と出会い、卒業式では五輪出場の夢を発表 |
| クラブ | KMC陸上クラブ | 小6後半から中学入学前ごろに在籍 |
| 中学校 | 立川第一中学校 | 100m・走幅跳などを経験し、中3ごろから400mへ本格転向 |
| 高校 | 城西大学附属城西高校 | インターハイ出場、400mベスト48秒05 |
| 大学 | 東洋大学 | 総合情報学部総合情報学科、2024年3月卒業 |
| 大学卒業後 | 富士通 | 2024年4月加入 |
日本陸上競技連盟のプロフィールでは、立川第一中→城西大附城西高→東洋大学という学校歴を確認できます。
さらに立川市公式から小学校が立川市立第一小学校、東洋大学公式から総合情報学部総合情報学科を2024年3月に卒業したことまで確認できました。
小学校は立川市立第一小学校|アイスから五輪の夢へ
以前は公式プロフィールに小学校名がなく、このページでも「確認できない」とするのが安全でした。
しかし2026年、立川市の公式情報で、中島さんが立川市立第一小学校の出身であることを確認できるようになりました。
立川市は市民栄誉表彰の際、中島さんが母校の第一小学校を訪れたことも紹介しています。
以前の「小学校不明」は現在では古い情報です。
推測で学校名を入れたのではなく、立川市が「母校」として第一小学校を明記したため、このページも更新しました。
小学6年で陸上を始めたきっかけは「アイス」
中島さんが陸上と出会ったのも、小学6年のころです。
本人インタビューによると、友人から陸上教室へ誘われました。
そのときの誘い文句が、「行ったらアイスがもらえる」というものだったそうです。
現在の日本記録保持者という姿から考えると意外ですが、最初から「陸上選手になりたい」と考えて始めたわけではありません。
友人に誘われて行った陸上教室が、その後の競技人生の入口になりました。
同じ小学6年の卒業式では「陸上で東京五輪に出る」と宣言
さらに今回、立川市公式を確認していて印象に残った情報がありました。
中島さんは第一小学校の卒業式で、将来の夢として「陸上で東京五輪に出る」という内容を発表していたと紹介されています。
「アイスがもらえる」と誘われて陸上へ行った小学6年生が、同じ小学生のうちに五輪出場を夢として言葉にしていたことになります。
実際には東京五輪出場には届きませんでしたが、その後パリ五輪日本代表となり、世界陸上400m決勝まで進んでいます。
結果を知ったあとで作った美談ではなく、立川市が小学校時代のエピソードとして紹介している点も重要だと感じました。
KMC陸上クラブにも在籍
小学6年後半から中学入学前ごろには、東京多摩地域のKMC陸上クラブにも所属していました。
本人インタビューで在籍時期について語っており、KMC陸上クラブ公式も中島さんを卒業生として紹介しています。
ただ、当時から全国トップの小学生だったわけではありません。
本人は、全国大会へ行く選手を「雲の上の存在」のように感じていたと振り返っています。
中学校は立川第一中|100m・走幅跳から400mへ
中学校は立川第一中学校です。
日本陸上競技連盟だけでなく、立川市の公式情報でも出身中学校として確認できます。
中学進学時は身長が高かったことからバスケットボール部にも誘われたそうですが、最終的には陸上部へ入りました。
ただし、この時点で400m専門選手だったわけではありません。
本人インタビューでは、
- 100m
- 走幅跳
- ハードルや跳躍系種目の経験
など、複数種目へ取り組んでいたことが分かります。
中学2年の冬から陸上へ本気で向き合う
中学に入った直後から競技一本だったわけでもありません。
本人が本格的に練習へ向き合うようになったのは、中学2年の冬ごろ。
チーム内で「関東大会や全中を目指そう」という雰囲気が強まり、自分も陸上に真剣に取り組むようになったと振り返っています。
中学3年では400mで都大会3位まで進みましたが、全中には届きませんでした。
中学時代は全国大会に出場していません。
現在の日本記録保持者という結果から逆算すると、中学生から全国トップだったように思えますが、実際には全国大会出場経験のないところから高校へ進んでいます。
400mはいつから?中学で一度経験し、中3ごろから本格転向
ここは媒体によって少し違って見えるため、今回かなり確認しました。
4years.の本人インタビューを見ると、中学3年になるころから400mへ本格的に取り組み始めた流れになっています。
一方、後年のSportivaインタビューでは、中学1~2年ごろにも400mを一度経験したことが語られています。
そのときは「きつい」と感じ、本人としては100mや200mの方をやりたい気持ちが強かったそうです。
その後、
- 100m・200mには速いチームメートがいた
- 自分はレース後半に強みがあった
- 長い手足を生かしやすかった
- 400mの記録が希望する高校への推薦にもつながる可能性があった
といった要素が重なり、400mへ本格的に進んでいきました。
「中3で初めて400mを走った」ではなく、「中学で一度経験し、中3ごろから本格的に400mへ進んだ」とするのが現在は自然です。
「陸上は小6から」?「中学から」?情報が違う理由
ネットやテレビ記事を見ると、「中学から陸上を始めた」とする説明もあります。
一方、本人の詳しいインタビューでは小学6年で陸上教室へ行っています。
これは、
- 小学6年:陸上教室・KMCで陸上に触れる
- 中学校:学校の陸上部へ入り、継続的に競技へ取り組む
と分けると矛盾しません。
そのため、このページでは「陸上との出会いは小学6年。学校部活動として本格的に続けたのは中学」と整理します。
高校は城西大学附属城西高校|なぜ進学した?
高校は城西大学附属城西高校です。
JAAFだけでなく、学校公式でも中島さんを卒業生として紹介しています。
学校公式では令和元年度卒業生として掲載されているため、2020年3月卒業にあたります。
では、なぜ城西大附城西高校だったのでしょうか。
400mの記録が高校推薦につながった
2026年のTBS取材で中島さんは、希望する高校があり、400mのタイムなら推薦をもらえる可能性があったことが400mへ進む大きな理由になったという趣旨で話しています。
しかも本人は、当時100mや200mの方が好きで、
高校に入ったら400mはやめるつもりだった
とも話しています。
現在44秒44の日本記録を持つことを考えると、かなり意外なスタートです。
「400mが一番好きだから選んだ」と単純化しないようにしました。
本人の適性、チーム内の競争、高校進学という複数の理由が重なって、400mが専門種目になっていったと見る方が自然です。
中学時代の中島さんへ声をかけたのが、シドニー五輪男子400m日本代表経験を持つ山村貴彦監督でした。
当時は全国大会出場経験もありませんでしたが、山村監督は将来性を見て声をかけています。
山村監督がどこを評価したのか、どんな指導をしたのかは、中島佑気ジョセフのコーチ記事で詳しく確認しています。
高校時代は故障も経験|インターハイ準決勝・ベスト48秒05
城西大附城西高校へ進んだからといって、すぐ全国トップになったわけではありません。
本人インタビューでは、高校入学直後は練習レベルについていくのに苦労したことが語られています。
高校2年秋にはけがを経験。
高校3年では南関東大会で記録を伸ばし、インターハイへの出場権を獲得しました。
しかしインターハイでは予選で再び脚を痛め、準決勝は組3着。決勝には届きませんでした。
高校時代の400mベストは48秒05です。
高校時代から全国王者だったわけではありません。
高校PB48秒05、インターハイ準決勝までという選手が、大学卒業後には44秒44の日本記録へ到達しています。
この先の細かな記録推移は、400m日本記録の記事へまとめています。
大学は東洋大学|総合情報学部総合情報学科
高校卒業後は東洋大学へ進学しました。
東洋大学公式では、学部・学科まで総合情報学部総合情報学科と確認できます。
2020年に入学し、2024年3月に卒業。
卒業後は富士通へ進みました。
なぜ東洋大学を選んだ?
大学進学にも、高校時代の競技成績と人とのつながりが影響しています。
4years.の本人インタビューによると、高校3年の南関東大会での走りを評価され、東洋大学からスカウトを受けました。
本人が進学を決めた理由として挙げているのは、
- 城西高校と雰囲気が似ていた
- 高校の先輩・塚本ジャスティン惇平さんが在学していた
- 憧れていたウォルシュ・ジュリアンさんがいた
といった点です。
有名大学だからというより、自分が競技を続けやすい環境と、知っている先輩・目標となる選手の存在が大きかったことが分かります。
東洋大学で急成長|47秒54から45秒04へ
中島さんが世界大会レベルへ近づいた大きな時期が、東洋大学の4年間です。
JAAFの年次記録では、大学1年の2020年は47秒54。
大学4年の2023年には45秒04まで記録を縮めました。
4年間で約2.5秒の短縮です。
その間、
- 大学2年:関東インカレ400m優勝
- 大学3年:オレゴン世界選手権4×400mリレー日本代表
- 世界選手権リレー決勝ではアンカーを務め、日本は2分59秒51のアジア記録で4位
- 大学4年:日本選手権400m初優勝
- ブダペスト世界陸上400m準決勝進出
と、国内学生レベルから世界大会へ段階的に進んでいきました。
年ごとの細かなタイム推移は日本記録記事へ集約し、この学歴ページでは「東洋大学で世界選手へ変わった」という流れまでにしています。
2024年3月に東洋大学卒業|その後は富士通へ
東洋大学公式では、中島さんは総合情報学部総合情報学科を2024年3月に卒業したと確認できます。
その後、2024年4月に富士通へ加入しました。
社会人になってからは米国でのトレーニングも取り入れ、2025年には44秒44の日本記録、東京世界陸上6位まで到達しています。
ただし、クインシー・ワッツ氏やUSCでのトレーニングは学歴とは別の検索意図です。
詳しくはコーチ・米国トレーニング記事へ分けています。
ネットで見かける中島佑気ジョセフの学歴情報を確認
| ネットで見かける情報 | 元情報まで確認した結果 | この記事での扱い |
|---|---|---|
| 小学校は不明 | 2026年の立川市公式で立川市立第一小学校と確認 | 古い情報 |
| 立川市立第一小学校出身 | 立川市公式が母校として紹介 | 確認 |
| 立川第一中出身 | JAAF・立川市公式 | 確認 |
| 城西大学附属城西高校出身 | JAAF・学校公式 | 確認 |
| 東洋大学出身 | JAAF・東洋大学公式 | 確認 |
| 総合情報学部総合情報学科 | 東洋大学公式 | 確認 |
| 陸上は中学から始めた | 一部報道に表現あり | 小6の陸上教室と中学陸上部を分ける |
| 小学6年から陸上 | 本人インタビューで確認 | 陸上との出会いとして採用 |
| KMC陸上クラブ出身 | KMC公式が卒業生として紹介 | 確認 |
| 中3で初めて400mを走った | 中1~2ごろに一度経験した本人発言あり | 中3ごろから本格転向と整理 |
| 400mが好きで始めた | 当初は100m・200m志向。適性や高校推薦など複数の理由 | 単純化しない |
| 高校時代から全国トップ | 高校PB48秒05、インターハイ準決勝まで | そのまま採用しない |
| 東洋大学で急成長 | 大学1年47秒54→大学4年45秒04 | 確認 |
以前「分からない」とした情報も、新しい一次情報が出れば更新します。
今回の小学校がその例でした。検索結果や古い記事だけを基準にせず、自治体・学校・大学・本人取材を見直しています。
管理人Bananaの確認手順
今回は学校名を並べるだけでなく、「いつ陸上を始め、なぜ400mを選び、なぜその学校へ進んだのか」まで確認しました。
- JAAFの最新プロフィールで中学・高校・大学を確認
立川第一中→城西大附城西高→東洋大学という学校歴を確認しました。 - 立川市公式で小学校を再確認
以前は確認できなかった小学校について、2026年の市民栄誉表彰・市公式特集から立川市立第一小学校と確認しました。 - 第一小学校時代のエピソードも自治体公式で確認
卒業式で「陸上で東京五輪に出る」という夢を語っていたことを確認しました。 - 陸上を始めた時期を本人インタビューまで戻る
小学6年の陸上教室、中学での陸上部という二つの段階を分けました。 - KMC陸上クラブも公式と本人取材を照合
小学6年後半から中学入学前ごろの在籍と、KMC公式の卒業生掲載を確認しました。 - 400mを始めた時期を複数インタビューで比較
中学早期に一度経験したことと、中3ごろから本格的に400mへ進んだことを分けました。 - 400mを選んだ理由を一つに決めつけない
高校推薦に加え、レース後半の強さ、体格、チーム内の100m・200m選手との関係なども本人発言から確認しました。 - 城西大附城西高校は学校公式も確認
卒業生としての掲載と、卒業年度を確認しました。 - 高校時代を成功談だけにしない
故障、インターハイ準決勝、高校PB48秒05まで確認しました。 - 東洋大学公式で学部・卒業時期を確認
総合情報学部総合情報学科、2024年3月卒業であることを確認しました。 - 大学進学理由は本人インタビューで確認
スカウト、学校の雰囲気、先輩、憧れの選手の存在を確認しました。 - 最後にクラスターとの重複を確認
詳細な指導内容はコーチ記事、各年の細かなタイムは日本記録記事、現在の大会は日程記事へ分けました。
私が迷った1つ目|小学校は本当に分からない?
以前確認したJAAFや競技プロフィールは、中学校からしか学校名を掲載していませんでした。
そのため、最初は「小学校は確認できない」としていました。
ところが2026年の立川市公式を確認すると、中島さんが立川市立第一小学校の卒業生であることが明記されています。
「一度分からなかったから不明のまま」にせず、新しい自治体一次情報を反映しました。
私が迷った2つ目|陸上を始めたのは小6?中学?
媒体によって「中学から陸上」と書かれています。
一方、本人は小学6年に陸上教室へ行ったことを話しています。
そこで、小6で陸上と出会い、中学校で陸上部へ入って継続したと分けました。
私が迷った3つ目|400mを始めた理由は高校推薦だけ?
TBSの本人発言を見ると、高校推薦が大きな理由だったことは確認できます。
ただ、別の本人インタビューでは、100m・200mのチームメートとの関係、自分の後半の強さ、長い手足といった適性についても話しています。
そのため、「推薦だけで400mを選んだ」のではなく、複数の理由が重なって専門種目になったと整理しました。
私が迷った4つ目|高校時代からエリート選手だった?
城西大附城西高校は陸上の強豪校で、中島さんもインターハイへ出場しています。
ただ、高校時代の自己ベストは48秒05で、全国大会決勝には進んでいません。
現在の44秒44だけを見て学生時代まで「全国トップ」と書くより、将来性を評価され、大学で大きく伸びた選手と見る方が実像に近いと判断しました。
中島佑気ジョセフについて詳しく確認
中島佑気ジョセフの学歴についてよくある質問
中島佑気ジョセフの小学校はどこですか?
立川市立第一小学校です。2026年の立川市公式情報で母校として確認できます。
小学生のころから陸上をしていましたか?
小学6年のときに友人から誘われて陸上教室へ行ったのがきっかけです。その後、KMC陸上クラブにも在籍しました。
小学校の卒業式で五輪出場を夢に挙げていたのですか?
立川市公式では、第一小学校の卒業式で「陸上で東京五輪に出る」という夢を発表していたと紹介されています。
中学校はどこですか?
立川第一中学校です。JAAFと立川市公式で確認できます。
中学時代から400m専門でしたか?
最初からではありません。100mや走幅跳などにも取り組み、400mを一度経験したあと、中学3年ごろから本格的に400mへ進みました。
高校はどこですか?
城西大学附属城西高校です。JAAFと学校公式で確認できます。
なぜ400mを始めたのですか?
希望する高校への推薦につながることが大きなきっかけの一つでした。ただし本人は、レース後半の強さや体格、チーム内の種目状況などについても話しています。
高校時代から全国トップでしたか?
高校3年でインターハイへ出場しましたが準決勝までです。高校時代の400mベストは48秒05で、大学以降に大きく伸びています。
大学はどこですか?
東洋大学です。総合情報学部総合情報学科を2024年3月に卒業しました。
なぜ東洋大学を選んだのですか?
高校時代の南関東大会後にスカウトを受け、城西高校と似た雰囲気、高校の先輩、憧れていた選手の存在などが進学理由だったと本人が話しています。
東洋大学でどれくらい速くなりましたか?
JAAFの年次記録では、大学1年の47秒54から大学4年の45秒04まで400mの記録を縮めました。
大学卒業後は?
2024年3月に東洋大学を卒業し、同年4月に富士通へ加入しました。
まとめ|第一小→立川第一中→城西大附城西→東洋大で世界へ
- 小学校は立川市立第一小学校
- 小学6年に友人から誘われ陸上教室へ
- 小学6年の卒業式では陸上で東京五輪に出る夢を発表
- KMC陸上クラブの卒業生
- 中学校は立川第一中学校
- 中学では100m・走幅跳などを経験
- 中学2年冬ごろから本格的に競技へ向き合う
- 400mは中学時代に一度経験し、中3ごろから本格転向
- 高校は城西大学附属城西高校
- 高校推薦も400mへ進む大きなきっかけ
- 当初は高校入学後に400mをやめるつもりだった
- 高校3年でインターハイ出場・準決勝まで
- 高校400mベストは48秒05
- 大学は東洋大学
- 総合情報学部総合情報学科を2024年3月卒業
- 大学1年47秒54→大学4年45秒04まで成長
- 大学3年で世界選手権4×400mリレー4位
- 大学4年で日本選手権400m初優勝・世界陸上準決勝
- 卒業後は富士通へ加入
今回、中島佑気ジョセフさんの学歴を調べ直して、一番大きく変わったのは小学校でした。
以前は公式プロフィールに中学校からしか載っていなかったため、小学校は確認できないとしていました。
ところが立川市の新しい公式情報まで確認すると、立川市立第一小学校の卒業生であることが分かりました。
しかも小学6年では、友人に「アイスがもらえる」と誘われて陸上を始める一方、卒業式では「陸上で東京五輪に出る」という夢まで語っています。
中学では全国大会に届かず、400mも最初から好きだったわけではありません。
高校では故障があり、インターハイも準決勝まで。
それでも東洋大学で記録を大きく伸ばし、在学中に世界選手権、日本選手権優勝へ到達しました。
学校名だけを見ると一直線のエリートコースに見えます。
でも本人の発言と学校・自治体の公式情報まで戻ると、実際には友人、恩師、学校推薦、先輩、競技環境との出会いを一つずつ次の成長につなげてきたことが分かります。
eLifemixでは、学歴記事でも学校名を並べるだけで終わらせず、「なぜそこへ進み、その時に何が変わったのか」まで確認していきます。






